2015/10/30

「事象」と「結果」

沖縄から返ってきて、ちょっといろんなことが起こっています。

 

まあ風邪をひいた、というのがトップにありますが、それ以外にも、

 

ハードディスクが壊れた

もう一個ハードディスクが壊れた

買ったパソコンケーブルが不良品だった

書類棚に指を挟んだ

 

など、毎日のように何かが起きています。

 

これだけ聞いていたら、良くないことばかり起きているように感じたり、膿だしをしているととらえるスピリチュアルな方もいるでしょうね。

 

私は現時点で、いい悪いの判別はないと感じるんです。

なぜなら、結果がいい悪いの判断はあっても、現時点では結果ではなく「事象」ですから、いい悪いで区別できないんじゃないかと感じるんですよ。

 

とらえ方は人それそれだと思います。

 

例えば、失恋をしたとします。

彼女、彼氏に振られたことを「結果」ととれば、それはすごくショックなことかもしれません。

しかし、振られたことを「事象」ととらえれば、失恋したことでより良い自分になれた、幸せになれたとしたら、失恋してよかったと思うでしょうね。

言い換えれば、降られた後にもっと素敵なパートナーと巡り会って、幸せになったら「別れてよかった」と思えるわけですよね。

 

私とかかわることって、おそらくすべてが「結果」ではなく「事象」なのだと感じます。

先日もFacebookで、昔カウンセリングを受けてくれた方から「あの時カウンセリングを受けたおかげです」みたいなことを言われました。

 

私との出会いが「事象」としてあり、その後、今という「結果」に結びついた。

 

私のもとを去っていった人たちも、きっと「あの時中原さんから離れたから、今の成功がある」と思っていてくれたらありがたいです。

 

ここまで書いて、なんか自分でも納得です。

私にとって、人とのかかわりは、すべて「事象」に過ぎなかったということにね。

 

自分にとっては「結果」でも、かかわった誰かにとっては「事象」に過ぎない。

でも、私に限らず、人とのかかわりってそういうものなのかもしれませんね。

 

例えば、失恋一つとっても、振る側は失恋を「事象」ととらえ、振られる側は失恋を「結果」ととらえるわけです。

起業の成功に関しても、「事象」ととらえられる人は成功しやすいし、「結果」ととらえる人は、成功しにくいのかな、という気がします。

 

これが世の流れなのかもしれませんね。

 

皆さんは、自分に起きる様々な出来事を「事象」ととらえていますか?「結果」ととらえていますか?

 


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